藤原 洋

株式会社ブロードバンドタワー

代表取締役会長 兼 社長 CEO

ただいまご紹介いただきました、ブロードバンドタワーの藤原でございます。今日は大変お忙しい中、また連休の合間の大切なお時間を、ご家族の時間を割いてまで来ていただきまして、本当に誠にありがとうございます。それでは簡単に私のあいさつということなんですけども、なんか話しするだけよりもプレゼンのほうが得意ですので、ちょっとスクリーンを見ていただければと思います。よろしくお願いいたします。

このブロードバンドタワーの歴史を始めるには、歴史の話は、やはり、今日お帰りのときにこの冊子をお配りしますけど、ここに書いてあることをかいつまんでちょっとお話ししますが、50年前になります。20周年なのになんで50周年か。これはインターネットが生まれたのが50年前、ARPANETといいますが、村井純教授によるとUNIXがないと先ほどお叱りを受けましたけども。ポール・バランという人が、この人は親しくしていた人んですけど、亡くなられちゃいました。この人は、パケット交換あるいはメッセージブロックという方式でインターネットの原理を発明した。その後、私は実はインターネットの原理に多少関係するローカルエリアネットワークの開発をしておりまして、本を出したり。そして次に、村井純教授との出会いが実はここにありました、35年前ですけれども、ここに今日持ってまいりました『マルチメディアLAN構築の実際』という、監修村井純、訳者私なんです。これ、なんで、助手。村井さん、当時東工大の助手だったんです。監修って普通教授じゃないですか。で、出版社に文句を言ったら、インターネット分かる人がこの人しかいないということで、渋々、助手の監修の本を出させていただきました。でも、それから35年、一緒に仕事してまいりまして今にいたっております。

それからもう一個、宇宙なんですね。69年の話に戻りますと宇宙が重要でして、今日実は、この中で宇宙行ったことある人、手を上げてください。はい、1人、山崎直子さんだけです。私は69年っていうのはアポロ11号が月に行った年なんですけども、私はこのおかげで宇宙物理学を学ぶことになりました。その後、出会ったのがコンピューターとインターネットということで、少年少女の夢は宇宙とインターネットということでございます。今日はスカパーJSATの高田会長と米倉社長にも来ていただいてますが、宇宙ももうビジネスになっているということでございます。

その後、WIDEプロジェクトっていうのが日本にできたわけですけども、これはアメリカでいうNSFネットとつながった、日本で最初の学術インターネットです。これは当然、ファウンダーは村井純さんであります。その直後にしばらくしてから私影響を受けまして、このWIDEプロジェクトで培った技術を事業化するベンチャー企業、IRIっていうのをインターネット総合研究所をつくりました。このときの仲間も今日、何人か来てますけども、大和田さんとか西野さんとかですね。その後、実は最初KDDIさんと日本で最初の商用IXをつくりました。JPIX。今日は山添社長から特大のお花を頂きましたけれども、JPIXさんの親会社は実はKDDIさんで、KDDIさんよりもちょっと大きめのお花を頂いて。高橋社長の面目をつぶした山添社長にも来ていただいておりますが。その後、インターネット総合研究所はマザーズ1号で上場いたしました。その集めたお金でつくったのが、このインターネットデータセンター会社のグローバルセンター・ジャパンという会社でございまして、このときはキャリアになる前のソフトバンクさん、今日は宮内社長に来ていただいてますけども大変お世話になりまして、そして、北尾社長、SBIホールディングス。当時、ソフトバンクさんのCFOなどもされていて、大変お世話になりました。創業できました。そして、第1サイトをオープンしたのはNTTデータさんのビルをお借りしたんですけど、できたばかりの会社にビルをお借りしたということで、実はNTTグループさん、今日は澤田社長にも来ていただいてますが、普通、NECとか富士通みたいな会社は、NTTの持ち株の社長さん来たっていったらだいたい態度変わるんですけど、私はよく来ていただきましたぐらいです。実はたぶん、NTTさんとソフトバンクさんとKDDIさん、今日は皆さん社長さんそろっておられるんですけども、たぶんNTTさんに一番お金払ってるのは私の会社です。

それで、ソフトバンクさんからお金をいっぱいもらってる。それから、KDDIさんとはジョイントベンチャーをさせていただいているのが付き合いがございまして、天は人の上につくらずと、会社の上に会社はなしと、皆さん対等にお付き合いさせていただいております。この辺は北尾さんから人間学というのを学んでおりまして、偉そうにしない、不必要に謙虚にならなくていい、対等にという教えできています。そして、2001年の11月にブロードバンドタワーにJPIXのサイトがオープンいたしました。21世紀に入りましたら、ブロードバンドタワーっていう会社に社名変更いたしました。グローバルセンター・ジャパンからですね。そして、2004年に第2サイトをオープン。そして、2005年8月に大阪、今の東証ジャスダックに上場することができました。そのとき主幹事をやっていただいたのは、実はSBI証券に今いらっしゃる時政さんです。当時、和光証券、今はSBI証券の常務であられます。そして第3サイトオープンとこの辺から快進撃が始まりまして、ビー・ビー・エフ:ファッションコマース、そしてデータセンター運用受託と、これはちょっと内緒の素晴らしい事業がありまして、ヒントを申し上げますと、これは中部地方のある県に巨大なデータセンターがあるんですけれども、中部電力さんに一番電気代を払ってるということで、社長さんもあいさつに来られました。2006年から私どもデータセンターだけじゃなくて、Dell EMCのIsilonというストレージソリューションを販売するようになりまして、これが今、データセンターに次ぐ2つ目の基幹事業になっております。そして、データセンターおよびこのIsilonのマネージドサービスといいますが、保守運用をやっておりまして、これは世界でも評価されるようになりました。あと、大阪にもオープンいたしました。そして2009年には、ヤフーさんに、ヤフーさんは最大顧客なんですけども、第三者割当増資を引き受けていただいて安定株主になっていただいたと。評価損がでたりアップしたりきょうはアップした日ですけど、そんなことがありまして、Isilonのパートナープログラム最上位ということになります。で、2010年代になりますと、クラウドセキュリティーでSTAR認証、今日はBSIさん来ておられますけれども、上司は誰っていうとエリザベス女王って分かりますかね。イギリス、英国規格協会の規格を取りました。そして、2015年3月にEverySenseに、今日は真野さんに来ていただいておりますけれども、出資をさせていただきました。そして、第5サイトをオープンし、そして2015年12月にはAIの会社、エーアイスクエアという会社を設立いたしました。そして、IoTにもコミットしようということでベンチャーキャピタルをつくりました。そして、2017年、エーアイスクエアがメディアドゥさんと提携させていただきました。そして、2017年10月にジャパンケーブルキャストという、これ、もともとスカパーJSATさんの一部門の衛星配信のケーブルテレビでの配信会社を取得して、連結子会社化をいたしました。そして、ビー・ビー・エフの株をここで全部売っちゃったんです。売上4分の3を稼いでいた会社の株を売っちゃいまして、そのお金で何をしたかというと新しい、新大手町データセンターをオープンいたしました。売上が当時3分の1に下がったんですけども、新しいことをやると株価は下がりませんでした。皆さんのおかげでございます。ありがとうございます。そして2018年10月、沖縄ケーブルネットワークを孫会社化しました。そして2019年1月、ティエスエスリンク、サイバーセキュリティーの会社を子会社化いたしました。そして2019年6月、これ、日経の世界デジタルサミットで基調講演をさせていただいたお二人に今日来ていただいておりまして、NTTさんの澤田社長とKDDIさんの高橋社長。一緒に並んで基調講演をさせていただいたんで、自慢気に、こういうこともありましたということで、おかげさまで20周年を迎えました。ありがとうございました。

この後、本当に今日お世話になった方々ばかりなんですけども、お世話になった方々に全員にここに上がっていただくスペースがございませんので、今日はこちらに写真を掲げさせていただいた皆さまとともに、鏡を開きたいというふうに思っております。皆さん、よくご存じと思いますが一応ご紹介しておきますと、一番左上がNTT、日本電信電話の澤田社長。

KDDIの高橋社長。そしてSBIホールディングスの、真ん中にいらっしゃいますが北尾社長。そして右にいらっしゃいますのが、ソフトバンクの宮内社長。そして一番右に、この中ではひときわ若い川邊社長、ヤフーさんの社長と。下に行きますと左側が前総務審議官で、ミスター5Gの渡辺克也、現在のIRI顧問。それから、天野浩先生ですね、2014年、ノーベル物理学賞。そして、京都大学、私の母校の総長の教授でありまして山極総長。そして、インターネットを一緒にやってきた村井純教授。そして、東大の数理科学の研究科長の河野先生。そして、この中で唯一宇宙に行った山崎直子さん。このメンバーで鏡を開かせていただきます。どうもご静聴ありがとうございました。

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